古代インドで生まれた聖典、バカヴァッド・ギーター。
「マハーバーラタ」という長編叙情詩の一部であるので、ギーターは耳に心地よく綴られ
インドでは子供でも読み書きができない人でも解る、人々に根付いている経典だということです。
いくつかの訳で読んでみて、私はこの3冊とサンスクリット語→英語の訳になっているものの4つを
好んで読んでいます。
訳として一番好きなのは、田中嫺玉さんという女性の訳です。日本語がね、好みです。
選ぶ単語や流れる語感が好きなのですが、「きっちり淡々と何の色もつけず読むならば上村勝彦先生のものをすすめますよ」
とおっしゃった方がいて持ち運びにも便利な岩波文庫も手元に置きました。
また、「日本語のように多様な言い回しのできる言語ではなく、パーンとストレートにこれ以上でも以下でもない訳を読むならば、
やはり英語訳ですよ」と勧めてくれる方もいて、なるほどなるほどと。英語辞書片手に読んだりもします。
どれも微妙にニュアンスが違って面白い。
同じ章節を4つ読み比べると、感じ方が、理解のしやすさが違う。そこを楽しみます。
私は自分の日常生活に沿わせて読むところから興味を持ったので、生々しく自分に落とし込んで読んでみてましたが、
先日、私の師であるマスタースダカーの座学を聴いていたときに、
「聖典は、今自分の視線で理解しようとしても、ゆがめて解釈することになる」というアドバイスをいただきました。
自分が見ている人生の見方に本を沿わせて解釈してしまう。ということです。聖典とはそのように読むのではないのだと
あらためて学びました。
マインドで考えてマインドで読むことなかれ。〇は〇に過ぎず〇なんだ。という読み方を。んーん難しい。
今日は秋の雨の一日、時間があったので、紙芝居をみるように、昔話を読むように読んでいました。
私のギーター勉強はそこからはじまります。