正しい入り口をみつければ、その道を歩いていくのは難しくない。
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わたしはヨガの愛好家として、インドの英知を知りたくて学び続けているけれど、
常に胸の奥にひっかかっていた事柄があって、それは学べば学ぶほどもやもやとくすぶり続けていたように思う。
そんなとき、マスター・スダカーにお会いすることができた。
それはそれは素晴らしい先生で、彼が話をはじめたほんの10分くらいで、私はもう涙が出そうでこらえるのが大変な状態だった。 彼は、日本のヨガインストラクターや学ぶ生徒さん達の様子をみて感じたこと、ヨガがファッションのように扱われていることや、言葉やスタイルだけが浮いて独り歩きしていることについて、それは厳しくさっくりと、真摯な言葉で語った。批判しているのではない、厳しいけどとても愛情を感じる表情。
通訳の方を介してなのでそのニュアンスはダイレクトではないけれど、それでも十分伝わる人間性にものの数十分で心を奪われた。(通訳のかたもお弟子さんなので、これまたとてもわかりやすく気持ちのよい言葉で通訳をされていて感動。)
マットの外での生活が、その日常が、果たしてヨガ的であるか。
心、気持ち、精神、自分の長所、短所、ものの見方・・・まずは自分の現状をきちっと知ることから始まる。
経験したことが智慧となる。そうでなければ、学んだことはただの情報に過ぎない。(私の座右の銘である「経験は智慧」がこんな形でフィードバックされるとは。)
生徒の準備ができたときに師が現れる。そう思うと嬉しくてしょうがなかった。
私には既に素晴らしい師がいて、センセイは私の名前すら知らないけれど、私のとるアーサナの癖はよく知っている。
そして私が悩んで壁にぶち当たっていると、するっとそこから解放してくれる一言をくれるセンセイだ。 そのセンセイのおかげでわたしはもっともっと本当のヨガを学びたいと思うようになった。
そしてこの日、私はマスターに会った。私の積み重ねが、マスターに出会わせてくれたんじゃないかと思った。
ワークショップの最後に、マスターが「ヨガの先生は友達であってはならない。母のように、包み込んで、嫌われることを畏れず正しいことを伝える存在」だとおっしゃった。
清清しい気分。 正しい入り口、やっと見つけたような気分。
そしてまだ私は、その入り口にやっとたどりついたという、そんなところなんだ。 あぁ、清清しい。 ありがとう、マスター!